共働きラボ

共働きパパの育児&家事ラボ

大震災から10年、あれから

大震災から10年

大震災によって亡くられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。


■3.11 あの日

当時、震源地からは離れたある地方に住んでいて、その日はたまたま普段と別のオフィスにいました。

地震がきたその瞬間、免震構造で頑丈なビルが相当揺れて、とんでもない地震が発生したんだというのを感じました。

システム運用をしている部署に所属していたので、地震の揺れが落ち着いた後、サーバーなどのマシンがあるオフィスへ急いでもどりました。


戻る途中、付き合っている彼女に連絡をして、無事彼女の安否確認が取れてホッとしたことを覚えています。

翌日に予約していたレストランへはキャンセルを連絡しました。

予約キャンセルを告げると、レストランのかたは驚く様子なく事務的に受付ました。


運用部門のオフィスに戻るとシステム障害を告げる警報が鳴り続けていました。

東北関連のネットワークが断線し、システム障害を検知し続けていたのです。

東北支社に連絡が通じず被害の状況がつかめない状態でした。

急遽オフィスの会議室にテレビを置き、テレビで状況を確認しながらシステム障害に対応していきました。

テレビでは津波が押し寄せてくるなか、車が逃げている様子が映し出されていて、信じられない光景が続いていました。

地震の被害の大きさが分からなくて、システム運用をしている現場は、今起こっているシステム障害をなんとかするために懸命に作業を続けました。


■あれから

大震災が起きてから2年後に宮城へ行く機会がありました。

震災から復興しつつあるも、まだ震災の爪痕が大きく残っていて、その爪痕の大きさに驚きました。

地元で人気の寿司店で昼食をとったとき、震災で津波がここまで浸水したというのが柱にマークされていました。人の背丈を超す位置まで浸水しており、壊滅的な被害を受けた状況が想像できました。


大震災から10年経ち、僕は結婚して、子供ができて、家族ができました。

普段の生活がおくれること、子どもが成長していること、何気ない日々の幸せを感じます。

今は地震がくると、真っ先に子どもが大丈夫か、子ども第一に行動をとります。


■おわりに

10年たち、当時のことを思い出していました。

再び大地震がいつ襲ってくるか、将来のことはわかりません。

防災用品をあらためて確認し、緊急事態が発生したらどう連絡をとって、どこに避難するのか、ひとつひとつ準備をしています。

子どもが通っている保育園でも防災訓練をきっちり訓練してくれていてます。地震が発生したらどう行動するのか、子どもは理解して、合言葉は「おかしもち」だよ〜なんて教えてくれます。

普段の何気ない日々が続くことを願って、防災に備えていきたいと思います。


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震災から2年後の復興市場